Ryuのたまに映画批評

Filmarksで映画レビューを書いてるRyuと申します。このブログでは特に色々語りたいけどFilmarksでは書ききれないことを書きます。

『イコライザー THE FINAL』の進化と違和感

みなさん、こんにちは!

 

10月に入り急に寒くなって秋という存在が消えたのかと思うこの頃。。。

急な気温の変化は体調を崩しやすいので気をつけていきましょう!

 

そんな中で寒さも吹っ飛ぶ胸熱な作品が公開されました。

 

それが

 

イコライザー THE FINAL』!!!

 

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デンゼル・ワシントン × アントワーン・フークワの『トレーニングデイ』コンビが描く最強スリラーシリーズ『イコライザー』の最新作にして完結編です!

 

とにかくダークヒーロー、それも容赦なさすぎるキャラクターが好きな筆者にとって『イコライザー』の最終作と聞くと胸が躍るとともに、寂しいものがあります。

 

そんな本作ですが率直に言って「最高」この言葉につきました。

 

今回はそんな『イコライザー THE FINAL』について"進化"そして"違和感"この2つに焦点を当てて考察していきたいと思います。

 

1. "9秒"から垣間見れる進化

まず『イコライザー』の見どころは何と言ってもマッコールがピッと腕時計のタイマーを発動し、十数秒の間に悪党共を一瞬で一掃するシーンですが、本作は完結編ということもあって"9秒"という異常なスピードで、しかも歴代で最強クラスの残虐さで敵を倒すシーンがあります。予告でも"最強、最速の9秒"とこのシーンを全面にアピールしているように本作の衝撃的なシーンの一つになっていました。"9秒"と聞くと純粋に凄いという感想に帰結しそうですが、私としてはこの"9秒"シーンには様々なものが詰め込まれているように思います。

 

まず本シリーズの主人公マッコールを演じるデンゼル・ワシントンは御年68歳。少し目線を他の作品に移してみると今年は御年61歳のトム・クルーズが『ミッション・インポッシブル:デッドレコニング』でスタント無しで崖からバイクで落ちるシーンに挑み、59歳のキアヌ・リーブスは『ジョン・ウイック』の新作で過激なアクションに挑戦するなどベテラン勢が各々の代表作で年齢を感じさせない活躍を見せた年でもあります。その中でも70歳近い大ベテランのデンゼル・ワシントンが実際の撮影はそうではないといえ、あの"9秒"のアクションシーンを華麗にしかも、迫力満点に演じ切るというのは凄いものがありますし、彼の役者としての更なる進化を追究する姿勢やプライドというものを強く感じるシーンでもあるのです。

 

また『イコライザー』というのはアクション作品でありながら非常に文学的な表現の多い作品でもあります。それを踏まえると"9秒"という数字にはメッセージが込められているように感じます。というのも"9"という数字には最高、究極、そして完成といった意味があり、数字に意味を持たせる寓意的な表現技法は映画や小説などでよく使われます。仮に完結作だから歴代最速で敵を倒すシーンを撮ろうと考えたら6秒や5秒でもいいのです。ここで敢えて9秒という数字にすることで『トレーニングデイ』からタッグを組むデンゼル・ワシントンとアントワーン・フークワの本作を最後にして最高の作品にしようという思いを込めたのかもしれないし、その名の通りマッコールという敵なしのヒーローを最強の人物として表現することを示したのかもしれいなし、はたまた本当にこれが最後であることをファンに示したのかもしれません。

 

2. 今作で感じた違和感の正体

待ちに待った『イコライザー THE FINAL』の公開。最終章ということでファンとしては寂しいものがありますが、相変わらず最高の作品でした。しかし今作は少し違和感がありました。この違和感は何なのかと考えた時に、過去2作品とは明らかに本作が違った点が多いことに気がつきました。その一つが演出です。『イコライザー』というシリーズにおいて大きな見どころの一つにマッコールが敵を圧倒してボコボコにしてしまうシーンがありますが、過去2作品では決まってラスボスを倒すシーンでは雨が降る中でトドメを刺そうという瞬間にマッコールの目元がクローズアップされ、その瞳にこれからトドメを刺されるラスボスの姿が映し出されるという演出がありました。これは『イコライザー』1作目のマッコールの台詞を借りるなら「私の目には何が見える」の答えであり、「お前(ラスボス)が最後に見るのは私の瞳に映る死ぬ直前のお前自身だ」ということを示しているのです。いずれにせよこの演出というのは『イコライザー』を象徴する重要なシーンな訳です。しかし本作『イコライザー THE FINAL』ではこの演出は一切ありませんでした。いや見逃したのかなと思いましたが、間違いなくありませんでした。

 

またもう一つ重要な演出が本作にはありません。それは"本"です。『イコライザー』において本は重要なキーアイテムとなっており、ストーリー序盤で登場しては物語の展開を暗示します。例えば第一作ではマッコールはヘミングウェイの『老人と海』を読んでいます。この小説は漁師である老人と魚の戦いが描かれており、後のマッコール(老人)とテディ(魚)の戦いを暗示しています。また第二作ではタナハシ・コーツの『世界と僕のあいだに』が登場します。この小説は黒人としてアメリカに生きるとは何か、そして死とは何かについて黒人の視点から父から息子への手紙という形で書かれており、マッコール(父)が出会う少年マイルズ(息子)との関係とその後の展開が示唆されています。また読書はマッコールにとって単なる趣味ではなく、亡き妻との約束という側面もあり『イコライザー』では本というのはストーリーの展開を序盤から示し、またストーリーに深みを出すという意味で重要な役割があるのです。しかし本作ではそんな重要な本が登場しません。

 

この二つの重要な演出がなぜないのか。それは本作におけるマッコールが過去2作品とは別の人物として強調するためでしょう。過去2作品でマッコールは様々なものを失いました。妻を失い、かつての同僚に裏切られ、そして友人を殺されました。ただでさえ不眠症に悩むほど精神的な苦痛を感じている中でこれらの出来事は彼にとってどれだけ耐え難いものかわかります。そして本作はいきなりイタリアという異国の地で始まります。いくら正義のためとはいえ言語も文化も違う土地で一人戦うのは非常に困難なことです。そんな精神的にも、物理的にも圧倒的に窮地な状態であるわけですから本を読む余裕など無かったのかもしれません。また本作では敵を倒す際に笑っているシーンがあります。過去2作では妻との約束もあり敵を殺めてしまう際にすまないと口にする程、暴力に否定的な面を見せます。本作でもそれを感じさせるシーンがありますが、その間に笑顔で敵を殺すシーンを入れ込むことで彼の内なる狂気や凶暴性という一面が窮地な精神状態とイタリアでのマフィアに対する怒りによって現れたのかもしれません。そいう意味では敢えて今までの演出を封じることで、そういったマッコールの新たな一面にフォーカスを当てたのかもしれません。

 

3.雨と林檎

演出という点でもう一つ気になったものがあります。それはマッコールがマフィアの親玉を殺したあとに林檎を食べるシーンです。今まではラスボス戦後には雨が降る演出がありました。1作目ではスプリンクラーが作動する中で敵にトドメを刺し、2作目では海辺で嵐の中で敵を奈落に落としました。これら雨降りの中での敵にトドメを刺す演出は"悪の浄化"を表していると言われます。実際に本作品の監督アントワーン・フークワの『リプレイスメント・キラー』という作品でも似た演出があります。しかし本作では雨降りシーンは林檎を食べる演出に置き換えられました。しかし林檎というのは旧約聖書の中で禁断や罪の象徴であり、またキリストが持つ林檎には征服された悪という意味があります。文学的演出の多い『イコライザー』なのでマッコールを仮に救世主や神として捉えると彼が林檎を食べるシーンは、即ち悪がイタリアの地から消えたことを示唆するのかもしれません。

 

 

 



アントワーン・フークア監督作品

 

マッコールが読んでいた2冊

 





 

『ミュータント・タートルズ ミュータント・パニック!』について色々。

 

今回は巷で話題のアニメーション映画『ミュータント・タートルズ ミュータント・パニック!』を見てきたので色々と勝手に語っています。

 

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ミュータントタートルズ』を知らない人にざっと元々のあらすじを説明すると、緑色の薬品を偶然にも浴びてしまった4匹の亀が突然変異を起こし、ミュータントになってしまう。同じく薬品を浴びたネズミのスプリンターを師匠とし彼の持つ忍者の技を学び、スプリンターの飼い主を殺害したシュレッダーに復讐をするというもの。キャラクターの見かけによらず内容は実は復讐ものな訳ですね笑

 


本作『ミュータント・タートルズ:ミュータント・パニック!』はそんな『ミュータント・タートルズ』を原作としたアニメーション映画になります。

 


実はタートルズは今までに今作含めて7度も映画されています。そのうちアニメは2作。

 


ミュータント・タートルズTeenage Mutant Ninja Turtles (1990年)
ミュータント・ニンジャ・タートルズ2Teenage Mutant Ninja Turtles II: The Secret of the Ooze(1991年)
ミュータント・ニンジャ・タートルズ3Teenage Mutant Ninja Turtles III (1993年)
ミュータント・タートルズ -TMNT-』 TMNT (2007年)
ミュータント・タートルズTeenage Mutant Ninja Turtles (2014年)
ミュータント・ニンジャ・タートルズ:影<シャドウズ>Teenage Mutant Ninja Turtles: Out of the Shadows (2016年)[16]
ミュータント・タートルズ:ミュータント・パニック!』Teenage Mutant Ninja Turtles: Mutant Mayhem (2023年)

 

本作はそのうちの一つということです。

今年は『スパイダーマン:アクロスザスパイダーバース』『ザ・スーパーマリオブラザーズ・ムービー』や日本では『THE FIRST SLAM DUNK』『君たちはどう生きるか』などアニメーション映画が界隈を賑わせた年でもあります。

 


そんな中で本作『ミュータント・タートルズ:ミュータント・パニック!』は非常に異質で、特殊な作品なように思えました。そんな本作の魅力などを3つの観点で語っていきます。

 


スパイダーバースとは対の物語

まず本作は様々な点でスパイダーバースと似ている作品になっています。中でも作画はその一つ。『スパイダーバース』ではまるでコミックの中にいるかのようなタッチで描かれた世界観やそれを彩るポップな音楽が話題になりましたが、本作『ミュータント・タートルズ:ミュータント・パニック!』の授業中にノートの端に書いた"落書き"のようなタッチで描かれた世界観やそのバックで流れるポップな音楽もまさにそれを踏襲したものになっています。またストーリーも共通点があります。『スパイダーバース』は主人公マイルズがスパイダーマンとして人々、特に両親に認めてもらおうと必死にヒーロー活動に青春を捧げるストーリー。一方で本作『ミュータント・タートルズ:ミュータント・パニック!』も4匹の突然変異した亀〈タートルズ〉が父であり師であるスプリンターになかなか認められない中で普通の人間の高校生のように学生生活をしてみたいと夢見ながら、ヒーロー活動を通して人間やスプリンターに認めてもらおうと悪戦苦闘するというストーリー。どちらもティーンエイジャーが主人公である点、またヒーロー活動を通して"自分"という存在を誰かに認めてもらおうとする点は非常に似ています。ここまで見ると『ミュータント・タートルズ:ミュータント・パニック!』は『スパイダーバース』のパクリか?と思われるかもしれません。確かにネット上にも似てるとかそういった声は多い。実際にパクリとは言わないまでもある程度は意識したり、参考にしたりはしたかもしれない。ただ個人的には両作は似ているようで、全く別の作品だと思うのです。

 


自分は特別か、普通か。

まずストーリーですが、『スパイダーバース』の場合はマイルズが親愛なる隣人スパイダーマンとしてヴィランとの戦いを通してヒーローとは何か、責任とは何かを学び人々に認められようと葛藤する姿が描かれる。一方で『ミュータント・タートルズ:ミュータント・パニック!』では普通の人間の高校生になりたい4匹のタートルズが自分たちの特技であるマーシャルアーツを駆使してヒーロー活動を行い、人々に受け入れてもらおうと奮闘する姿が描かれます。ここでキーとなるのが自分が「特別な存在」として認められたいのか、それとも「普通の存在」として受け入れて欲しいのかという点。マイルズは元々、人間でありありふれたティーンエイジャーなわけです。だからこそ彼は平凡な自分はあまり好きでは無いし、スパイダーマンとしての力を得た彼は予期せぬ絶好の機会として自分のチャンスを最大限に活かそうとします。一方でタートルズは突然変異した亀です。確かに我々からすればハルクのような超人パワーを最初から持ってる訳ですからある意味カッコいい存在に映るかもしれませんが、タートルズ彼らからすれば自分たちの存在は異質であり、実際に人々から恐れられ傷つけられた過去があるわけで決して特別な存在とは思っていないし、むしろ人間のような普通の存在に憧れるわけです。どちらも明るくポップな絵や音楽で明るいストーリーに見えますが、『ミュータント・タートルズ:ミュータント・パニック!』は非常に暗く重い話に見えます。個人的には『ミュータント・タートルズ:ミュータント・パニック!』には"マイノリティ"や"差別"といった現代社会の重いテーマが明るくポップな世界観の裏に確かに存在するように思えます。実際に本作のヴィランタートルズと同じく人間の実験により生み出されたミュータントたちであり、彼らは大多数の人間にとって望まれずに産まれた化け物なわけです。だからこそ差別を受け、暴力を受けその人間への復讐を信条に彼らは生きてるのです。絵のタッチを見てもこのテーマが分かります。あくまで僕の感じ方や見方の違いというのも大きいと思いますが、劇中でどこかタートルズに比べ人間が少し歪な造形でガサツに描かれているように思えました。これはタートルズヴィランといったミュータントといつ異質な存在の視点から見た人間の姿なわけです。つまり何を言いたいかと言うと、確かに望まれず産まれた異質で恐ろしい存在であるミュータントですが、彼らの心は本当にピュアで決して人間と争おうなんて思ってはいません。そうした背景や思いを想像もせずにただ怖いから、自分たちとは異質だからという理由で迫害をする人間とどちらが本当に化け物なのかという話です。本作『ミュータント・タートルズ:ミュータント・パニック!』はポップな世界観の楽しい子供向けアニメーションでありながら、そうしたメッセージ性を持つ社会派の一面もあるのです。

 

アニメーションの常識を壊す

今までも常識を覆すような映画は和多く制作されてきましたが、本作もその一つと言えるでしょう。マーベルによるアニメーション映画『スパイダーバース』ではそのコミック調のタッチとポップな音楽によって再現された独特の世界観が話題になりました。言ってしまえば映えを狙った戦略とも言えますし、何よりアニメーションという"動"のエンタメでありながらコミックという"静"のエンタメを表現した画期的な作品でもあるのです。『ミュータント・タートルズ:ミュータント・パニック!』も『スパイダーバース』が作り出した新たなアニメの流れを汲んでいます。実際に本作もコミックの世界観をアニメーションで表現していますし、ポップなミュージックも踏襲してます。しかし本作はそこにオリジナリティを加えています。一つは敢えて歪に、そしてテキトーに描かれているというところです。『スパイダーバース』も確かにコミック調にこそ描かれていますが、キャラクターの輪郭や背景の描写などはかなり細かくかつ丁寧に描かれています。それを踏まえると『ミュータント・タートルズ:ミュータント・パニック!』は一見アニメーション映画としてどうなんだと思うでしょう。ただこれは意図があってのことなんです。本作の監督を務めたジェフ・ロウは敢えて雑にまるで"ノートの端に書いた落書き"を目指すようにアニメーターに指示したそうです。さらに当初の出来を見てCGらしすぎる、もっとマットな質感で描いてと要望を出したそう。実はこれには理由があむてジェフは敢えてこういった描き方でタートルズや世界観を表現することで、より自由な感じを表現したかったそう。『タートルズ』と聞くと有名ではありますが、めちゃくちゃメジャーかと聞かれるとそうとも言えないし、いわゆる"オタク"に愛されてきたシリーズな訳です。またタートルズがそうでるようにティーンエイジャーに特に親しまれてきたキャラクターでもあります。きっとジェフは10代の特にオタクといった特定のグループに属する人たちがかつて持っていた自由な感覚や発想というものを敢えて歪でノートの端の落書きのような表現をすることを通してアニメーションに落とし込むことで『タートルズ』の自由でワクワクするような世界観を表現したかったのでしょう。そしてそれは同時にジェフや本作の制作に関わった『タートルズ』を愛する人たちによる、『タートルズ』への恩返しとも言えます。また本作がアニメーション映画の常識を壊したと言える点はもう一つあります。それはアニメーション映画でありながら、他の漫画やアニメーション作品を劇中に登場させる点にあります。もちろん今までのアニメーション映画にも他のアニメーションや漫画が登場する作品はありましたが、その多くがクロスオーバーであったり、『シュガーラッシュ』のように様々なアニメや漫画のキャラが一つ世界に住む架空の世界観の話ということが多かったです。しかし本作は例えば『進撃の巨人』といった日本のアニメ、漫画の存在が示唆されます。またドナテロが終盤で着ているパーカーをよく見ると『ジョジョの奇妙な冒険』と書かれていることに気づきます。また劇中では『ゴジラ』『スタートレック』『アベンジャーズ』といったキーワードが度々発せられます。個人的にはこれはかなり奇妙だなと感じました。今、『タートルズ』というアニメーションを僕は見ている。にも関わらず、本作に登場するキャラクターは実際に存在する他のアニメや漫画の存在について語る。仮に本作がアニメーション映画ではなく実写映画であれば感じることのない奇妙さでしょう。そうアニメーション作品でありながら、敢えて他のしかも実在するアニメや漫画の存在を劇中に様々な形で登場させることでアニメーションという2次元の世界観に3次元に近い奥行き言い換えればリアリティを生み出しているのです。また劇中に度々アニメーションではない実写の映画のワンシーンやクリス・エヴァンスクリス・パインマーク・ラファロといった実際に存在する俳優などを写真や名前として登場させるのも同じ効果を生み出している演出と言えるでしょう。このような演出をしている作品は他にあまりありませんし、非常に面白いなと思います。まさにアニメーションという2次元の世界観を壊した瞬間と言えます。

 

p.s. 本作の監督を務めたジェフ・ロウが監督の作品の一つに『ミッチェル家のマシンの反乱』という作品がNetflixで配信されてますが、この作品はかなり『ミュータント・タートルズ ミュータント・パニック!』に通ずる点が多く、またジェフ・ロウという監督としての映画観がかなり垣間見れる作品なのでぜひ見てみてください!

 

はじめての投稿です

はじめまして、RYUと申します。 普段はFilmarksという映画評価サイト(アプリ)で映画の評価をしているのですが、やはり長く語りたい映画ってあるんですよね。Filmarksの良い点というのはやはり自分が面白い、そうでもないと思った映画を他の人はどう思ったのかをサクッと知るところにあると思うんです。つまりFilmarksで書くレビューというのは短く簡潔であればあるほど良いのかと。もちろん長く語る方もいるし、何も書かず星だけの方もいるので、それはそれで全然良いと思います。とはいえFilmarksはX(Twitter)のような感じなので長文はどうしても向いてないかなと感じます。そこで長く語りたい映画に関してはこのHatena Blogで書くことに決めました。といっても映画のレビューではありません。もちろんその要素もあるにはありますがメインは考察や裏話といったことがメインになると思います。僕自身、映画の考察が好きですし、よくYoutubeでも考察系を見たりするんですが何となく自分がその作品について思っていることを言語化するの楽しそうだなと思ってたんです!とはいえそこまで深い知識や才能はないと思うので上手く言語できないと思うんですが笑

何はともあれ言語化の練習や知識や映画への理解を深める、そして作品に対して思ったこと、感じたことを記録するという意味で軽ーくやっていこうと思います!

p.s.もし自分はこう思ったとか、ここはこういう背景がといったことがあったらコメント欄にお願いします!